白石達也の半生における趣味の移り変わり

白石達也は子供のころ、「少し変わった子」として周囲から認識されていました。彼は物心がつく以前の幼年期から、与えられる物品の仕組みが気になるような子供だったのです。座れば音が鳴る椅子や積み木で作られた電車のおもちゃといった子供に与えられる品だけでは飽き足らず、ボールペンや鍋のふたなど、およそ分解できそうなものは分解し、その仕組みを知ろうとしたのでした。
少年期になっても白石達也のそうした欲求はとどまる所を知らなかったため、両親は少しでも心を満たしてあげようと、2〜3ヶ月に1つのペースで模型を買い与えます。この模型作りは次第に彼の心を大きくとらえていき、自他共に認める趣味として彼の生活の一部になっていったのでした。
この趣味が高じて、彼は次第に「ものづくり」に対して強い関心を示すようになります。「誰もが関心するようなものを作る現場で働きたい」という動機によって大学の工学部へ入学し、卒業後は電気機器のメーカーに就職するに至ったのです。就職当初は営業などの部署にも配属されたことでなかなか自分が思い描いたような物を作り出せる仕事ができませんでしたが、模型作りで養われた彼のコツコツと努力を積み重ねる性格が次第に周りから評価されていき、就職してから3年後にはエンジニアとして製品の開発に携わる仕事を任せられるようになります。
一方で彼は「エンジニア白石達也」の原点とも呼べる趣味の模型作りを、就職後もしっかりと続けたのでした。製作の頻度は仕事の多忙さにより激減しますが、1点1点に気持ちを込めて素晴らしい作品を作り上げていきます。30歳を過ぎて結婚した妻も当初は呆れ顔でこの模型作りを見ていましたが、最後はその熱意に負けて彼のための「趣味部屋」を作ることを認めたほどでした。

白石達也がエンジニアとして働くようになって数年の後、電子機器の小型化によってデジタルカメラや携帯電話などのデジタルガジェットが急速に広まって利用される時代が到来するようになります。また、インターネットの普及にともなってそうした知識や技術が広く世間に認知され、デジタルガジェットは日々の暮らしをより便利にする文明の利器として認識されるようになっていったのです。
エンジニアであり、物の構造に大変興味があった白石達也がこうした流れに乗ったのは、言わば当然のことでした。新機能が備わった携帯電話が発売されるたびに新しい機種に変更し、さらにパソコンの機能を拡張するような電子パーツを日々買い漁るようになります。デジタルガジェットの購入と活用は、彼の新たな趣味として加わることとなりました。
一方で白石達也のこうしたデジタルガジェット愛は趣味の領域を越え、自分が開発に携わる電気製品にも活用できないか模索するような日々が続きます。製品開発は社運がかかるような大きなプロジェクトになるため、彼の意見が簡単に採用されることはありませんでしたが、急速に整備される通信インフラを活用した電化製品が次第に発売されるようになってくると、会社は彼の先見性の高さを改めて評価します。
デジタルガジェットが社会になくてはならないものになっていくのに比例するように、会社は彼に製品開発の方向性に対するアドバイスを求めるようになっていきます。アドバイスの中には先鋭的過ぎるものもあり、全ての意見が製品作りに反映されることはありませんでしたが、彼が勤める会社がデジタル社会化の波に取り残されずに一定の業績をあげることができたのは、彼のアドバイスが大きく寄与していたことは疑いようの無い事実でした。

白石達也がデジタルガジェットの中でもこよなく愛したのは、デジタルカメラでした。もともと模型作りの趣味の延長として、写真撮影に対しては興味を持っていたのですが、デジタルガジェットに対する関心も加わることで、デジタルカメラに対しては別格とも呼べる思いを持つようになったのです。
デジタルカメラが一眼レフカメラの性能を持つようになったのと同じ時期に、彼は被写体を風景にまで求めるようになっていきます。「高精彩な画像を残すことができるデジタルカメラの真価は、やはり大自然のパノラマ撮影で発揮される」というのが彼の専らの口癖でした。休日になると彼は「カメラマン白石達也」に変貌し、車で行ける範囲の景色は全てデジタルカメラに収めているというほどでした。
さらに彼は、より広い範囲の景色を大パノラマで写真に残したいという欲求を強くしていきます。高い山の山頂から連なる稜線や高層ビルから見下ろす市街地の景色が被写体の主体となっていきました。しかしそれだけでは飽き足ず、しまいにはヘリコプターをチャーターして各所をデジタルカメラで空撮するほどになります。さすがにこれには家族一同閉口しましたが、白石達也がいかに趣味の人であるかを知っていた妻は反対することもなく、空撮のたびに海外旅行へ家族を連れて行ってくれることを条件にこの趣味も受け入れたのでした。
かくして彼の「趣味部屋」は、模型とデジタルガジェットと空撮した写真で埋もれかえることになったのです。

関連記事

ピックアップ記事

  1. ラファエロの革職人〜世界一の革職人への道のり〜「”才能”なんて信じないよ。世界で一番努力しているやつ…
  2. 谷尾和昭はハーバード大学で科学の勉強に取り組んでいる日本人です。沖縄出身で、佐賀県の学校からハーバー…
  3. 大淵裕昭は高身長です。190cmもあるため、どこにいてもよく目立つと周囲の人から言われています。大淵…
ページ上部へ戻る